似顔絵も「無用の用」が大事。老荘思想について(見えなくて、取るに足らないモノの力)
こんにちは、似顔絵画家のやすしです。
今日は老荘思想と似顔絵について書いていきます。
ちょっと自分には身の丈に合わない話をするかもしれません(笑)
老荘思想とは古代中国の老子とか荘子の教え、みたいなやつです。
道教とも呼ばれます。
知らない人は今までの価値観ぶっ壊されるので、ぜひ知って欲しいですね。
で、似ている似顔絵を描くこと老荘思想って通ずるところがあるので、書いていきます。
老荘思想ってどんな考え方?
まだまだ自分はダメだ、もっと上を目指さないと、
と思って頑張っているのに満たされないと感じる人や、
自分には何の取り柄もない、、、と思って落ち込んじゃう人には、
非常に良い教えだと思います。
「老子」とかで検索すれば教えについて分かりますが、
中田敦彦さんの動画がとっつきやすくて分かりやすいかもしれません。
老荘思想の中核をなす、「道(タオ)」という概念があるのですが、
これは、「何もないからこそ、全てあがる。見えないからこそ、大きな力を持っている」みたいな考え方です。
仏教の般若心経みたいなやつですね。
特に「無用の用(むようのよう)」という言葉は有名です。
無用の用って何?
「無用の用」とは何か?
一見役に立たないと思われている無用だと思えるものが、実は重要な役割を果たしている。
ということです。
例えば、コップは何もない空間の部分があるから、水を入れることができます。
家というものも、ほとんど空っぽの空間があるから住むことができるわけです。
真っ白な紙も、何も描かれていないから何かを描くことができます。
宇宙空間もほとんど何もない空間が占めています。それによって僕らの世界も成り立っています。
このように、何も無いというのは非常に重要なことなのです。
なるほどねーって思いませんか?
似顔絵上達の秘訣も無用の用を知ること
で、似顔絵もまさに「無用の用」の考え方を持つことが大事です。
似顔絵で大切な「パーツの関係性」も
見えるようで、見えません。
最初のうちは、やっぱそんなに重要じゃないんじゃない??
と、つい思ってしまいます。
だけど一番重要である点において、
老荘思想に通じるところがあるな、、と思います。
似顔絵を描く際、つい目に見える形に囚われすぎて、
目に見えないものに意識が向きません。
似ないと、ついつい描き込んで、無理やり似せようとしてしまいますが、
「パーツの関係性」を捉えてないと、いくら描き込んでも、全然似ません、、、、
似顔絵を自己流で頑張って描いていると、
「パーツの関係性」という「見えないんだけど非常に重要なもの」を
ついつい見落としてしまうので、気をつけて欲しいですね。
で、究極言うと似顔絵は別に似てなくてもいいんだよ、、、と
僕は思っています。
これは老荘思想にも当てはまります。
全然似てなくて、絵もめっちゃヘタクソだからこそ、
めっちゃ面白い!!!!めっちゃウケる!!!!!
という場合もあるわけですね。
なので、無理して似ている似顔絵を描くために「パーツの関係性」をとらえる必要もありません。
似ておらずとも、相手が喜べばそれでいいわけですし、
自分でこれが良いと思ったのであれば、それが良いわけです。
で、めっちゃ絵を描く技術があって、天才的な似顔絵を描いたとしても。
絵を見る人の中には、その能力を評価するよりも
こんなふうに描くなんてひどい!!!なんて悪意のある人なんだ!!!!
と思われることもあります。
うーーーん、、やっぱ自分には才能ないかなぁ、、、
と思っちゃっていたとしても、そういうのに囚われないでいる方がいいと思いますね。
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